2009年4月24日 第46回サイエンスカフェ
極微のシンメトリー ~素粒子の世界:ノーベル賞と残された謎~
講師:日笠 健一 東北大学大学院理学研究科 教授
プロフィール
日笠先生の専門は素粒子の理論です。一口に素粒子理論と言っても、数学に近い純理論的な分野から実験に近い分野まで広いスペクトルがありますが、その中ではボトムアップ的な立場で素粒子現象に関心を持ち、ヒッグス粒子、超対称粒子などの未解明の物理について、高エネルギー将来計画を視野に入れつつ研究されています。また、20年にわたり素粒子データブックの編集に携わっています。
開催情報
開催日:2009年4月24日(金)18:00~19:45
会場 : せんだいメディアテーク
概要
2008年のノーベル物理学賞が素粒子理論分野の3名の日本人に授与されたのは記憶に新しいところです。受賞理由に共通するキーワードは「対称性」とその「破れ」です。我々の存在やこの宇宙のあり方はどうやら素粒子の世界の対称性の破れに起源を持っているようです。破れのない本来の世界はいかなるものなのでしょうか。今年運転が開始される世界最大級の加速器LHCではその謎が解明されようとしています。
Q&A
ミューオン?電子変換探索実験(MEG)がどういうものなのか。「素粒子が解き明かす万物創成の謎」のような資料をもらえてうれしい。
ミューオンが電子と光子にこわれる現象は従来見つかっていません。いままでの実験から,千億個のミューオンの崩壊を観測してもこの崩壊は1つもない(崩壊分岐比が10^{-11}以下)ことがわかっています。素粒子の標準理論に代わる理論として注目されている超対称理論では,この崩壊が実際に起こると考えられ,一兆個から十兆個の崩壊で1回程度起こる可能性が大きいと予測されています。この現象を発見する目的でMEGと呼ばれる実験が現在スイスのPSI研究所で行われています。この実験では非常に多数のミューオンを生成するだけでなく,まぎらわしい現象から如何にこの崩壊を選び出すかが鍵となり,最先端の測定器技術を必要とします。この実験は日本のグループが主導的な立場で国際共同実験として進めています。
陽電子や、反陽子を使った実験で、それらの粒子は実験前、どの様な所にためておくのですか。物質と反応させずに保存するのは大変だと思うので。
陽電子は電子,反陽子は陽子や中性子と遭遇しなければ安定な粒子です。これらの反粒子は通常の物質中ではすぐに対消滅してしまいますが,高真空中では粒子に出会う確率が小さいので長生きします。
反陽子を作るには,まず加速器で高エネルギーに加速した陽子を金属などの物質標的に入射して反応を起こさせます。十分陽子のエネルギーが高ければ,対生成などにより反陽子が生成される反応が起こります。こうしてできた反陽子を集めますが,これは高真空に保持した領域中で行う必要があります。反陽子は高真空の金属パイプで作った貯蔵リング中に導かれ,リング中を回っているうちにエネルギーを揃えられ,加速されて実験に使われます。
陽電子をある程度の距離飛ばせるのか?
KEKのBファクトリーは,一周が3kmで,陽電子はほぼ光速で回っているので1秒間に10万周します。直線距離に直せば1秒に30万km, 陽電子は平均何時間も回しておくことができますから,数十億kmは飛んでいる計算になります。
宇宙空間は地上で作ることのできる真空よりはるかに真空度が高いので,宇宙での高エネルギー素粒子反応で作られた陽電子ははるかに長い距離を飛ぶと考えられます。
電子とニュートリノが区別がつかない双子の意味が理解できない。
電子は原子を作っている素粒子で電荷を持っており,ニュートリノは中性で地球でも容易に突き抜けるというように,この2つの粒子は全く違った性質を持っています。我々の宇宙に住んでいる限り,どこに行ってもそうであると考えられます。しかし,これは我々が対称性の破れた宇宙に住んでいるためで,本来の対称性を持つ世界では同じ性質を持つ「双子」であることが素粒子の研究からわかってきたことです。
(物理学を学んでいる方のためより正確に言えば,電子はスピン1/2を持っていて右巻きと左巻きの電子がありますが,そのうち左巻きの電子がニュートリノと双子の粒子であり,本来の世界では右巻きの電子は左巻きの電子とは違う粒子です。)
クォークは、究極の粒子か?陽子の寿命は有限か?粒子の寿命を決定している要素は何か?
究極の粒子とは何でしょうか。物質の最も基本的な構成要素である素粒子は何かという疑問に対する答は時とともに原子→原子核→核子→クォークと変化してきましたが,現在のところクォークがさらに基本的な要素からできているという証拠は全くありません。我々に言えるのはそれだけです。陽子はほぼ1フェムトm (10^{-15}m) の拡がりをもち,そのことは陽子が素粒子でないことの一つの現れですが,仮にクォークが拡がりを持っていたとしても,その大きさは1アトm (10^{-18}m) 以下でなければなりません。
いわゆる大統一理論では,強,弱,電磁の3種類の基本力を統一するとともに,クォークとレプトンが本来同種の粒子であるという物質の統一が含まれます。この理論では陽子がレプトンに崩壊すると予測されており,1980年頃からそれを確かめる実験が行われています。(超新星ニュートリノや太陽ニュートリノを観測したカミオカンデも本来の目的は陽子崩壊の探索でした。)現在まで陽子が不安定であるという証拠は得られておらず,寿命は10^{32}年以上(宇宙の年齢よりはるかに長い)であることがわかっています。陽子崩壊はスーパーカミオカンデ実験により引き続いて探索されていますが,もし観測されれば素粒子の理解が大きく進むでしょう。
粒子の寿命は,崩壊を引き起こす相互作用の強さ,粒子の質量,崩壊先がどのような状態かによって決まります。弱い相互作用(W粒子の相互作用)によって崩壊する粒子の寿命は,中性子が千秒,ミューオンがマイクロ秒(10^{-6}秒),Bメソンがピコ秒(10^{-12} 秒),W粒子が10^{-25}秒と桁違いに分布していますが,共通の弱い相互作用の強さを表す結合定数を用いて正しく再現することができます。これは素粒子の標準理論の成功の1つです。
ヒッグス粒子(場)は空間に一様に分布しているのですか。
粒子が全くない完全な真空状態は,ヒッグス場が一様に分布した状態です。その状態を「揺らす」と波が生じますが,それがヒッグス粒子に相当します。今のところ我々は真空をうまく揺らすことができないでいますが,LHC実験により,数年のうちには可能になると期待しています。
なぜ行列に虚数が表れると対称性が破れたことになるのか。
反粒子の存在は,相対論と量子力学に基づいていますが,量子力学の法則は複素数により書かれています。粒子と反粒子を入れ替えることは,複素共役をとることに対応しています。小林益川行列はW粒子とクォークの結合を表す量ですが,それに虚数が現れるとクォークと反クォークで違いが生ずることになります。
CPの破れが1%→数十%になったことで得られる違いとは?そこが少し分からなかったです
1964年に発見されたKメソンのCPの破れは1%以下であり,Kメソン以外では破れはそれ以後35年間にわたってどこにも見つかっていませんでした。1972年提唱の小林益川理論では,CPの破れを説明するために第5のボトムクォークの存在が仮定されましたが,ボトムクォークは1977年に発見されました。さらにボトムクォークを含むBメソンの崩壊のうち,稀に起こる特定の崩壊モードを調べれば,Kメソンと異なり数十%の破れが見えることが予測されました。
これを実際に確かめるには,1億個ものBメソンを作ることが必要で,さらに平均1ピコ秒 (10^{-12}秒) で崩壊してしまうBメソン1つ1つの崩壊時間を精密に測定しなければならず,従来の加速器では困難でしたが,KEKとスタンフォードに建設されたBファクトリーにおける実験において,2001年に小林益川理論の予測が正しいことが確認されました。
CP対称性やLHC加速器による発見などの素粒子の世界における発見が今後どのように応用されていくか。
今の時点ではまだわかりません。過去を振り返ってみると,20世紀前半の物理学の華である量子力学と相対論は,当時何かの役に立つとは思われていませんでしたが,PCをはじめ我々の身の回りのエレクトロニクス製品は量子力学の応用と言ってよいでしょう。また,カーナビが正確に働くのも相対論の知識無しではありえません。素粒子の物理のような基礎的であるが根本的な科学には現在予想もできないような応用が将来待ち受けているのではないでしょうか。一方では,素粒子物理の実験には最先端のさまざまな装置?技術が必要であり,その開発にはさまざまな波及効果が期待されます。また国際共同実験がほとんどの素粒子物理では,コミュニティも国際化されています。インターネットの WWW(ワールドワイドウェブ)はヨーロッパの素粒子の研究所である CERN ではじまったものです。いずれにしても,素粒子を含む基礎科学の研究にとって,応用はあくまで結果であって,目的ではないことは付け加えたいと思います。
「3世代」のクォーク?レプトンと説明されました。この場合「世代」という用語の 使い方に不自然さを感じます。これら粒子には、生成順?あるいは生成過程に何らかの関連が予測されているのでしょうか。例:原子は多数発見されたが「発見順」「軽重順」のグループに「世代」は使われていない。又、「世代」は元々生物学的に使用された。現在では「文化的」?「技術的」産物に対しても使用され、「第1世代の加速器」等と用いられている。
身の回りの物質をつくるアップ?ダウンクォーク,電子,電子の仲間の電子ニュートリノは電荷がそれぞれ (+2/3, -1/3, -1, 0), カラー数は (3, 3, 1, 1) ですが,これ以外のクォーク?レプトンも同様の組にまとめることができ,全部で3組の存在が知られています。違いは質量が大きく異なるだけで,他の知られている性質は同じです。この3組を質量の小さい順(すなわち発見順)に第1世代,第2世代,第3世代と呼びならわしています。通常の「世代」の使われ方とは若干のずれがあるかもしれません。
電荷保存以外にエネルギー保存とかが成り立つのかがわからなかった。数学的に詳しくやってもらうともっとわかりやすかったと思った。
数学は物理学,特に素粒子理論にとっては言語であり手足です。数学を使わずに素粒子の説明をするのは大変苦労しますが,中高生,文系の方など幅広い層の方が参加されるサイエンスカフェの場では残念ながら数式を使うわけにはいきません。ぜひ大学の講義を聴きに来てください。
当日の様子