2010年6月25日 第60回サイエンスカフェ
食と環境をまもる微生物たち
講師:中井 裕 東北大学大学院農学研究科 教授
プロフィール
1954年東京都八王子市生まれ。77年東北大学農学部卒。82年博士課程修了、農学博士。茨城大学農学部助手、米国ジョージタウン大学医歯学部博士研究員、茨城大学助教授を経て91年東北大学助教授。02年東北大大学院農学研究科教授、07年より附属複合フィールド教育研究センター長。04年より日本畜産環境学会理事長。専門は微生物学。虫取り少年が長じて、日々、寄生虫や微生物の収集と分類を楽しんでおります。趣味:ロードレーサーによるサイクリング。
開催情報
開催日:2010年6月25日(金)18:00~19:45
会場 : せんだいメディアテーク
概要
環境を健全に保ちながら、安全安心な食料生産を続けるためには、有機資源のリサイクルが重要です。リサイクルは微生物のチカラに頼っています。どのような微生物がいて、どのようなことをしているのかを見てみましょう。
Q&A
EM菌のように好気性菌でも効率よく発酵できる菌を作れないのか。
EM菌ですが、製造会社のホームページでは、「乳酸菌、酵母、光合成細菌を主体とし、安全で有用な微生物を共生させた多目的微生物資材です。腐敗する前に有用な微生物を定着させる事で、問題解決する事をEMは可能とします。生ゴミは家畜のエサや肥料へ、排水汚泥は上質の堆肥へ、そして家庭排水はプランクトンのエサとなって様々なシーンで資源が循環し、生態系も回復へと向かいます。」と謳われる微生物資材です。宮城県でも角田市や白石市での使用例が新聞報道されています。
しかし、これまでの科学的解析結果からは、「EM菌は効果なし」、と考えるのが妥当だと思います。
タイ国では1994年4月から14ヶ月間にわたって農務省が中心となって100人近い研究者を投入して39もの小プロジェクトを立ち上げてEM菌の効果に関する調査と含まれる微生物の種とその機能の解析、圃場での効果試験を実施しました。その結果、有効な微生物の分離はできませんでしたし、圃場での効果も確認されませんでした。また、1995年日本土壌肥料学会は微生物資材専門委員会を立ち上げて検討を行いましたが、EM菌の効果を明らかにすることはできませんでした。
詳しくは、日本土壌肥料学会が1996年に開催した「微生物を利用した農業資材の現状と将来」と題した公開シンポジウムの要旨をごらん頂きたいと思います。私は、現在の科学で解明できないことがすべて誤りであるとは言いませんが、生産?販売している製品に関しては、可能な限り科学的解析データは付ける必要があるし、科学的な反証データ示されたら、製造者は真摯に科学的に対応すべきだと考えています。
さて、コンポスト生産を促進する機能を持つ微生物は存在するのでしょうか。コンポスト化過程の微生物群集構造の変化を解析してきた結果からみて、そのような微生物が存在することは明らかです。しかし、ある微生物が高い機能を発揮するには特定の条件を必要とします。したがって、有効な微生物を得た場合、それを生かすコンポスト施設とセットで使用する必要があると考えています。
牛の第二胃、第三胃の役割は?
ウシは4つの胃を持ちますが、第四胃が単胃動物の胃に相当し、ここで、消化酵素によるタンパク質消化が行われます。第一胃から第三胃は前胃とよばれ、採食物の貯留庫兼、発酵槽としての働きを持ちます。
飲み込まれた採食物のごく重いものは第二胃底に落ち、他のものは第一胃の背嚢とよばれる部分に入りますが、これらは、第一?第二胃運動によって第一胃の腹嚢の液状部分に浸され攪拌されます。したがって、第二胃は第一胃と一体となって食物の初期の消化を行っているといえます。
ウシは反芻を行いますが、この時、第二胃が重要な働きをします。第二胃の収縮による陽圧と食堂内の陰圧との圧力差と噴門(第一胃の入り口)の瞬間的な開口とにより、第一胃内容が食道に移行し、反芻を可能にします。第二胃は内容物の吐き戻しのための圧力装置といえます。
第三胃は第一?第二胃内容の第四胃への移動を調節する機能を持っています。第三胃内容が第二胃に逆流することはまれです。第三胃は、第一?第二胃内容を第四胃に流し込む場合に機能する、調整槽といえます。
大きく分けるとクジラも牛も同じ仲間だが、クジラの胃の中にルーメン原虫はいますか?
クジラの胃にはルーメン原虫はいないと思われます。
クジラの胃からルーメン原虫が検出されたという報告はありません。クジラもウシ同様に4つの胃(3つの胃を持つクジラの種類もあります)を持ちます。第一胃はウシ同様に食道が袋状になったものですが、クジラは反芻をしません。第一胃では消化液は分泌されませんが、以下の胃からの消化液の逆流があり、ここでも消化が行われます。したがって、ルーメン原虫が棲息できる環境ではないと考えられます。
クジラはウシとともに鯨偶蹄目に含まれます。鯨偶蹄目はラクダ亜目、イノシシ亜目、鯨反芻亜目に分類されます。鯨反芻亜目には、反芻を行うウシ、ヒツジ、キリン、シカと、反芻を行わないカバとクジラが含まれます。近年の遺伝子解析を中心にした系統解析の結果は、鯨偶蹄目の祖先からはまずラクダの仲間が分岐し、次にブタやイノシシ、次にウシ?キリンなどの反芻亜目、そしてカバ、クジラの順に分岐していったことを示していますが、現在、反芻亜目、カバ科、鯨目の分類に関しては、系統の名称および分類階級は確立していません。
したがって、大きくくくれば、クジラとウシは比較的近い仲間ではありますが、反芻に関しては、全く異なる分類群に属する動物と言えます。
ルーメン原虫研究のわが国の第一人者である伊藤章先生(おおくさ動物病院院長)に相談したところ、下記のメイルを頂きました。原虫がどのように宿主動物(原虫がすみかとする動物)を選んだのか、宿主動物の進化とともにどのように原虫が進化したかわかりやすい説明を頂きました。
以下に、伊藤先生のメイルを転記します。
"ゾウやハイラックスの腸管内に共生している多様な原虫がいるので、マナティーにもいるかもしれない"
"ゴリラやチンパンジーの腸管内にも同様な原虫がいるので、原始人も原虫をもっていたはずであり、そのおかげで、森や草原の植物をおいしく食べて生きていたかもしれない"といったことに、似通った疑問ですね。
クジラの胃や腸からは、ルーメン原虫やカバの胃のなかの原虫は発見されていません。しかし、クジラの祖先がこういった原虫を消化管に共生させていたことはありそうなことです。そして、海洋に進出した時に、原虫が共生していけなくなる事態が発生したと考えられます。海に進出したことで、クジラ同士で原虫を受け渡す手段を失ったのではないかと想像できます。
クジラの祖先はどんな原虫を消化管内に共生させていたかということを、カバの原虫から考えてみます。カバは、反芻動物のルーメン内で繁栄しているオフリオスコレシデ科の原虫を保有せず、かわりに、ウマの腸管内にみられるキクロポスチウムに近縁のモノポスチウムという原虫やウマのブレファロコリスに近縁のパレントディニウムという原虫などをもっています。こうなりますと、ウマの原虫なのかなということになりますが、なぜ、反芻動物の原虫をもっていないのかという大きな疑問が残ります。この方法ではクジラの先祖がもっていた原虫を想像することは難しそうです。
そこで、宿主動物の系統樹と原虫の系統樹を比較することが解決の糸口になるかもしれません。しかし、残念ながら、このグループの原虫の系統樹は未完成です。現在は、日本とEUの研究者が原虫の系統樹を作ろうと努力を始めたばかりという状況です。まだ正式に発表されていませんが、このグループの原虫の系統樹はすこしずつ完成しつつあります。草食動物の消化管内に共生する原虫全体の先祖は、ウマの腸管内で多様に進化したグループの原虫であるということが解明されつつあります。しかし、このグループの次に分化した原虫のグループは有袋類の胃の中にみられる原虫です。この時点で、説明ができなくて困ってしまいます。有袋類の原虫が分岐した後、ウマ、カバ、サイ、ゾウ、カピバラ、チンパンジーなどの原虫が分化していきます。この分化の様子には、宿主動物との整合性がまったくみられないと言えます。つまり、草食性哺乳類および有袋類の進化と、その消化管内原虫の進化を重ね合わせて、分子生物学的に説明することは諦めなければならないのかもしれません。
しかし、個人的な考えでは、ウマの消化管内にみられるいくつかのグループの原虫が、系統樹全体に散らばって位置しているように、見えてしまいます。古代の草原をウマが走り回り、草原全体に排便していたことが、宿主動物とその原虫の説明のつかない組み合わせに影響を与えていたのではないかと思います。木から下りて草を食べた猿、草原を流れる河の水を飲んだカバやカピバラ、草を大量に食べたウシやゾウやサイの先祖が、草や水を介して、ウマの先祖から原虫をもらったということなのでは、と。これは、もちろん、中新世の大陸の内部の巨大な草原でおきたはずなのですが、非科学的な根拠のない想像にすぎないのかもしれません。
哺乳類の系統樹と未完成の原虫の系統樹を見比べながら、絶滅哺乳類図鑑と原虫のモノグラフを開いてみて、宿主動物と原虫の組み合わせについての最良の説明ができないだろうかといろいろと考えてみることは、興味の尽きないことなのですが、答えがみつかりません。これからは、海を目指す直前のクジラの先祖が棲んでいた頃の大陸の状態や、当時のウシやウマの先祖のことも、想像してみたいと思います。
当日の様子