2016新春対談:村井嘉浩宮城県知事と里見進総長が対談しました
情報誌「仙台経済界」2016年1-2月号において、2016新春対談と称して村井嘉浩宮城県知事と里見総長の対談が以下のとおり行われました。
創造的復興実現に 東北大学の知の力を!
宮城県知事 村井 嘉浩 氏
東北大学総長 里見 進 氏
東日本大震災から間もなく5年。県震災復興計画の「再生期」3年目に突入、村井嘉浩知事が掲げる「創造的復興」の促進に期待がかかるが、生活再建、地域経済の再生など、まだまだ課題が山積みの状況だ。今回は、新年の幕開けにふさわしいお二人、村井嘉浩知事と里見進東北大学総長をお迎えし、それぞれの立場から「震災復興」「地域経済」「国際化戦略」「人材育成」の4テーマについて意見を交わしていただいた。
――2011年3月11日の震災から丸5年になります。
村井 震災直後、当時の菅総理が立ち上げた「復興構想会議」の席で、阪神淡路大震災発生当時兵庫県知事をされていた故貝原俊民さんが「東日本大震災も復興に10年はかかると思いますが、今、10年後のさらに10年先、20年先の絵姿をイメージして復興しないと、できた時には時代遅れになり、より過疎化が進んでしまうでしょう」と。私はこの時の貝原知事の言葉を聞いて20年先、30年先を考えた県土づくり、つまり、未来に向けた創造的復興を決意し、さまざまなことに取り組んできました。今、ようやくその芽が出始めたのを感じています。
インフラの復興は概ね順調で予定以上のスピードで進んでいるといっても過言ではないところもございます。しかし、生活再建に関しては、私が掲げる創造的復興の一環でもあるのですが、「住まいは高台、または海から離れた安全な場所に、働く場所は海の近くで」という構想でまちづくりをしていることもあり、土地が十分確保できておらず、仮設住宅等に住まわれていた約12万人のうち、まだ約7万人しか、自力での自宅再建、あるいは災害公営住宅への移転を果たせていない状況です。なので、復興はまだ道半ばといえます。
復興は順調に進む
――里見総長は震災当時、大学病院長でいらっしゃいました。
里見 震災によって、医療は宮城県の沿岸部を含め、壊滅的な打撃を受けました。当時病院長だった私は、「医療の不備で社会構造が壊れることだけは防ごう」と考え、様々な手を打ち、なんとか乗り切ることができました。あれから5年近く経ち、インフラ面の再整備が進んだことを実感しています。特に、本学の教育研究機能は震災前と比較して遜色ない状態になっています。
震災発生の翌月の11年4月、本学は「東北大学災害復興新生研究機構」を立ち上げ、大学全体として東北の復興のために何ができるかを検討し、8つの大型プロジェクトを推進することにしました。その他、学内で自主的に行っていた100以上の活動を、「復興アクション100+(プラス)」と命名しましたが、この「8つのプロジェクトと復興アクション100+」の研究成果は現在徐々に表れ始めています。
私は震災の1年後に東北大学総長に就任しました。6年間の任期の目標として、「東北の復興~日本新生の先導になる~」ことと「ワールドクラスへの飛躍」の二つを掲げました。
――震災直後の状況をもう少し具体的に教えてください。
里見 東北大学病院は、地震発生の約20分後に「緊急対策本部」を設置し、約40分後に、けが人を受け入れる「トリアージ体制」を整備しました。研究室や検査室などは壊滅的な被害を受けましたが、幸いなことに、病棟は新しくなっていたので、入院患者さんにはほとんど影響はなく、大きな混乱は生じなかったことで、比較的早期に宮城県全体の医療に眼を向けることができたと思います。
印象的だったのは、トリアージ体制を敷いて待機していましたが、外来患者さんが思ったほど来なかったことです。
その一方で、「沿岸部が惨憺たる状態になっている。医療機関も壊滅している」という情報が入ってきました。すぐに医療チームを派遣しましたが、大学病院だけで対応できる医療状態ではないと判断されましたので、全国の大学病院等に医療チームを派遣してもらうように要請しました。全国からたくさんの医療関係者が集まり非常にありがたく思いました。われわれが何とか東北の医療を支えられたのは、このような全国からの支援があったからこそと、今でも感謝しています。
震災に役立ったエリアライン制
村井 東北大学が司令塔の役割を果たしてくださったわけですが、あの時は「宮城に東北大学があってよかった」と、つくづく思いました。
里見 医師や医療チームが入れ代わり立ち代わり応援にくるので、その派遣先を決めるのに徹夜の作業が続き、石巻赤十字病院などの現場は殺気立っていました。そこで、地区をいくつかのエリアに区切り、1カ月以上滞在できる長期滞在型のチームを柱にして責任を持たせ、短期のチームはサブになる「エリアライン制」というシテスムを作りました。それによって、震災後15~20日後にようやく慢性疾患等に対処できる体制ができ、約1カ月経つと、ほとんどの避難所を賄える状態になりました。
――5年経った今の医療面での復興度は。
里見 まだ100%完全な医療にはなっていませんが、現状では医療が維持できている状況です。
それから、知事の力によって新しい医学部が出来上がりました。そこで学ぶ学生は、宮城県から修学資金の支援をいただき、「卒業後、宮城県で一定期間働く」ことを約束していますので、まだまだ時間はかかりますが、そういう方々がさまざまな病院に配置されていけば、少しずつ医療環境が整ってくると思います。
村井 一方、自然災害がいつ襲来するかわかりません。そこで、仙台市宮城野区宮城野原のJR貨物の敷地を買い取り、広域防災拠点の整備に着手、その中に宮城県の災害拠点病院である「仙台医療センター」に入ってもらい、ドクターヘリの格納庫等を設置することになりました。基地病院として東北大学病院と仙台医療センターの2つを予定、基本的には仙台医療センターで離発着し、どちらかの病院に患者を運ぶ形になります。その広域防災拠点には、医療品などの物資をストックする場所もつくる予定です。
また、東北大学医学部は日本有数、世界有数の医学部ですから、地域医療だけではなく、やはり研究をしていただかなければなりません。今後、ますます高齢化率が高まると、医療を必要とする高齢者数の激増が予想され、仙台以外の地域での医師不足が深刻化するなかで東北大学さんに補ってもらおうとしても、もうそんな余裕はないわけです。そこで、東北への医学部新設を重点事業に掲げ、東北薬科大学への医学部新設を実現、今年4月から「東北医科薬科大学」に改称してスタートすることになりました。東北医科薬科大学は、「地域医療を担うことに特化した医学部」という位置づけになります。
せっかく医学部を新設しても、「勤務は仙台で」となったら意味がないので、宮城県は一学年100人のうち主に仙台市を除く市町村で診療業務を担う意思のある30人分の修学資金原資を拠出し、そのかわり、卒業後10年間の義務年限を設けるという条件を付けました。ただし、医師が全く足りていない麻酔科、小児科、産婦人科などの診療科については、10年という義務年限を短縮したほうがいいのではないかということで、今、大学側と調整を図っているところです。数年後医師が育てば、東北大学さんの負担は相当軽くなると思います。
医師を地元で養成し地域に貢献
――でも、なかなか地方に行きたがらないのでは。
村井 平成23年2月に、東北大学、医師会、医療機関、宮城県の四者で創設した「宮城県医師育成機構」において、修学資金枠の30人の卒後勤務のローテーションシステムを構築して医師の定着とスキルアップを図っていく方針です。
――人口減少社会において、東北大学が地域経済の再生に果たす役割は。
里見 東北大学建学当時からの理念は、「研究第一」「門戸開放」「実学尊重」の三つで、昔から民間とのつながりを大事にしてきました。先ほど言及した8大プロジェクトの中にも、産学連携にからんでいるプロジェクトがたくさんあります。その一つが「東北メディカル?メガバンク計画」です。ここでは、被災地の住民15万人分の遺伝子情報等を集め、医療情報とリンクすることで、新しい未来型の医療をつくる試みがなされています。また、医療関連のビッグデータが蓄積されますので、東北に医療産業を呼び込めるのではないかと思っています。このほか地震?津波による海洋生態系の変化の調査研究を目的とする「東北マリンサイエンスプロジェクト」が進行していますし、「地域イノベーションプロデューサー塾」では、起業家を育成することを目的としていますが、実際に優秀なプランを提示した数人の方には、返済義務のない資金を提供し新しい産業を興してもらう試みも始めています。さらに、「東北発 素材技術先導プロジェクト」は、東北大が強みを有するナノテクノロジー?材料分野において、産学官協同で先端材料を開発し、東北の産業活性化につなげていくことを目的にしており、すでにいくつかの研究成果が産業化されつつあります。
――このほかには。
里見 日本の大学は、大学の持つシーズを起業化することに長けていません。今回は医療機器の分野に限定されますが、イノベーションをけん引する人材を育成することを目的に、平成27年10月から「ジャパン?バイオデザインプログラム」がスタートしました。米国スタンフォード大学のバイオデザインプログラムを使って人材育成を図っていこうとするもので、東大、阪大、東北大の3校を中心に進められています。いずれは医療の分野だけではなく起業化をけん引する人材を育成していかねばなりません。
また、青葉山キャンパス内に国際集積エレクトロニクス研究開発センターが、東京エレクトロン様からの寄付によって竣工しました。ここを拠点に、もう一度日本に半導体産業を取り戻す取り組みが行われています。このように、大学も産業化に向けて動き始めていますので、いずれ、いいニュースをいくつかお届けできるようになると思います。
――ぜひ、雇用の場を作っていただけますように。
里見 本学の卒業生の就職先を見ると、宮城県にとどまっているのが17%です。工学系はもっと低くて3.8%しかいません。これは悲しい現実です。ここにきちんとした職場と医療が確保されていれば、豊かな自然に恵まれた宮城は、人間が真に人間らしく生活できる場所になるはずです。そういう意味で、大学が知の力を使って産業を興し、この地になんとか安心して住める場所を作らなければならない。知事がおっしゃったように、元に戻すのではなく、その先を行く形まで持っていかなければならないと思います。
製造業、工学系を根付かせる
村井 今、製造業の誘致を頑張って行っています。自動車が一番目立っていますが、高度電子機械も含めて誘致しています。宮城の経済は「支店経済」といわれ、支店ができることによって集まってくる人たちをターゲットにした商売で食べてきました。しかし、宮城県の生産年齢人口は、25年間で約25%減ることが見込まれ、東北全体では33%以上の減少になります。第三次産業は、ものを食べてくれる人、ものを買ってくれる人などがいて初めて成立する産業で、それだけに寄って立つと、宮城県経済は間違いなく疲弊するでしょう。ならば、子どもを産み育てやすくするのと同時に、東北から人が出ていかないように、受け皿となる産業を誘致しなければなりません。幸い、天野平八郎東北大学総長顧問のお力添えなどによりトヨタさんが来てくれたおかげで、製造に必要な部品を作るサプライヤーさんが宮城に集積してくださいました。地元企業も育ってきました。それによって二次産業のウエイトを高め、一次、二次、三次産業のバランスをとることによって三次産業の衰退を抑え、ひいては宮城県経済の衰退を抑えようというのが私の作戦です。
もう一つの問題は、県内に理工系の人材が働く場所が少ないことです。今まで県がものづくり産業を重視してこなかったのが原因です。東北大の理工系で大学院まで修了した方には、やはり、専門の研究の分野で頑張っていただかなければ。そのために、ものづくり産業をしっかりと根付かせ、併せて研究機関の誘致が必要だと思います。若い人たちの雇用の場をつくることで、東北大の理工系の人たちが外に出るのを少しでも防ぎ、宮城の地域力の底上げにつなげていきたいと考えています。
ただ、東北大学は日本全体を引っ張っていく大学なので、「宮城県にだけ就職」ということにあまり固執せず、日本全体の発展、ひいては世界の発展を考えて研究をしていただきたいという思いもあります。里見さんが総長になられてから、そういった視点がはっきりしてきたので、私は「本当に素晴らしい方に総長になっていただいた」と喜んでおります。
里見 励ましとともに、「ちゃんと世界と戦ってこい」と発破をかけられた気分です(笑)。
国際化標榜の仙台はホテル不足
――今、東北大学に外国人の先生、留学生は何人くらいいますか。
里見 教授は全体の約4%、留学生は約10%です。全学生約1万8000人のうち、1700~1800人が留学生です。彼らは仙台を非常に気に入っています。母国に戻り日本との懸け橋の役割を果たしている人もいれば、宮城に住んで、日本の企業に勤めたいという気持ちを持つ人も増えています。大学には、日本人の学生と海外の学生が一緒に住む「ユニバーシティ?ハウス」という寮がいくつかありますが、そこでは両者が溶け込んで暮していますし、地域のイベントに積極的に参加する留学生も増えています。
海外から研究者などをもっとたくさん呼び込むためには、インターナショナルスクールなどの教育環境を整備する必要があると思います。また、「国際リニアコライダー」の誘致活動を推進していますが、国際都市として、そういうものを迎えられる体制整備をこれからきちんとしていくべきだと思います。
――国際化を進める上で、観光にもっと力を注ぐべきでは。
村井 観光は本当に重要です。どうがんばっても定住人口は減りますから、その減少分を抑える、あるいは上回るためには、観光客、交流人口を増やすしかありません。昨年、訪日外国人の数が1800万人を超えたそうですが、そのうち、宮城県にお泊りになった外国人は約10万人にすぎません。全体の0.24%ぐらいしか泊まっていないのです。東北全体でも35万人です。これが現状です。
私は外国人がどんどん来るようになれば、国際化は黙っても進むと思います。先日、京都に行き、タクシーに乗るたび、運転手さんに「1日に乗るお客さんの中で何割ぐらいが外国人ですか」と聞いたところ、どの運転手さんも「6割」と答えました。そして、「英語は片言だけどしゃべります。観光案内もします」と言っていました。タクシーの運転手さんに、「国際化のために英語の勉強をしましょう」と言ったら尻込みするでしょうが、手を挙げて乗ってきたお客さんが外国人だったら、嫌でもしゃべれるようになるんです。
飲食店でも、写真に英語表記を添えたメニューを用意しておけば、外国人客を呼び込むことができるんです。ですから、「外国人を呼び込めば、国際化は進む」と私は思っています。
外国人観光客の誘致で東北は一人負けしています。それは行政の責任が大きいと思っています。ですから、「呼び込む仕組み」を作ろうと思いました。まず着手したのが、空港の民営化です。「LCCなどを誘致して、外国からお客様を引っ張り込む」のが狙いです。今は成田、羽田から入った観光客は富士山や京都に行ってしまう。やはり、東北に直に入っていただき、二次交通でつなぎ、東北をグルっと回ってもらわないといけません。各地で飲食し、おみやげを買ってもらって、仙台空港から帰る仕組みを作れば、間違いなくポテンシャルはあるはずです。仙台空港は16年7月から仙台国際空港による運営が始まり、完全民営化されます。
里見 国際化の面で東北大学ができるのは、国際学会を誘致することだと思います。幸い、地下鉄東西線も開通し、国際センター隣接地にはコンベンション機能を備えた展示棟が完成、周辺道路もきれいに整備されたので、川内地区一帯が文教地区として、大きな学会を開催するにふさわしい場所になりました。あとは、仙台にホテルが整備されれば万全だと思います。
村井 ホテルは足りないと感じています。ホテル建設の流れが加速するのでないかと思っています。
グローバルな人材を育成
――未来を支える人材の育成?確保については。
村井 東北大学さんはすでに「地域イノベーション研究センター」をつくり、革新的事業家の育成を行う「地域イノベーションプロデューサー塾」を進めてくださっています。また、革新的事業に対する目利き力を持つ伴走型支援者の育成を行う「地域イノベーションアドバイザー塾」もスタートされました。このように、東北大学さんにしかできない革新的なイノベーションの分野で、人材育成にご尽力くださっています。その一方で、われわれ行政は今、地元中小企業の育成に力を注いでおります。このような形で、役割分担をしながら人を育てていくことが極めて重要だと私は考えています。
里見 東北大学は「世界と戦っていく大学」だと自負しておりますので、まずはグローバルで活躍できる人材を育成することが大きな目標です。本学では、グローバルリーダーに必要な6つの素養を定め、それを入学時から大学院までの期間にまんべんなく学べるように、カリキュラムの改革を行いました。また、二年前にスタートしたグローバル人材育成プログラムには約2千人の学生が登録しています。グローバルリーダー認定には、海外留学が必須になっています。現在は年間約400人が海外に出ていますが、いずれは「東北大学に入学した人は、学生の間に必ず海外での学びを経験する」という時代にしていかなければいけないと思っています。
地域産業を興していくトップランナーをつくるのも、本学の役目だと思っています。農学部では農業を担う新しい人材を、アクティブラーニングの中で育てていく「農業マイスター」制度をスタートさせました。起業する人材をつくる一方で、産業を興すもとになるシーズを研究する人材も育てなければなりません。大学にはこれ以外にも文化を継承し育てるなどいくつかの役割があります。それぞれがうまくいくようにこれからも努力していきたいと思っています。
――新しい年ですので事業家に提言を。
里見 いろんな産業を興すにしても、やはり自分のことだけではなくて、社会全体を考えられることが大切であると思います。
村井 県職員にいつも言うのは、全体の利益のためにやろうと。県庁というのは利益を求められない組織なので、まさに人として行うべき正しい道しかないんです。トヨタさんには義の精神があり学ぶ点があります。
――ありがとうございました。
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